■雑記(2019年〜2019年1月後半・飲酒と身体のこと)

(今回おもうがままに綴っていったら本当にヤバめの人っぽい文章で完全支離滅裂になってしまいました。読みづらいです・・・)

前回の日記を公開して知人何人かから温かい言葉をいただけたのがうれしかった。
相も変わらず何もせずする気力もなく生きているが、とりあえず日記を書くことくらいはできるし、何かを書いていると前回の日記に記載したように自身の心が安らぐので何となく書いている。

とはいえ、びっくりするくらい日記にしたためるようなことはしていない。
前回日記を書いた時は比較的薬が効いていたのか落ち着いていたのだが、年明け以降、仕事が始まってから一日も休むことなく飲酒をしている。 飲酒と言うのは基本的にものすごい水分量を摂取することになるので、翌日お腹が緩くなる。というわけで私は2019年基本ステータスに下痢が付随している。2019年下痢便の旅。 えっなんですか今の言葉。最悪なんですけど・・・。

飲酒と言うのが止まらないのはおかしいことであるが、それを自覚して尚やめられないと言うのもおかしなはなしだ。やめりゃあいいのだ。飲まなきゃ良いのだ。でも人はお腹がすいてご飯を食べずに居られるのだろうか?眠くなっても起きていられるだろうか?ばかにされたら怒らないのだろうか?それと一緒で仕事が終われば飲まずにはいられない。
飲酒はおおよその欲求を満たすようでろくにものを食べずとも生きていけるようになってしまった(というより食物が胃を通らなくなった)。体重は計っていないので何とも言えないがひと月ぶりに会った美容院のお兄さん(いつも担当してくれる)に痩せた?ときかれたのでそれなりにやせ細ってはいるのだろう。
たしかに朝は全く食べない、仕事が忙しくなって来て昼もスープをテイクアウトしてオフィスですますことが多い。夜は飲酒のつまみに浅漬けや刺身を何品か。これで年明け以降過ごしている。そりゃ痩せるわ。アホか。
食物を経口摂取しないことの弊害、身体が動かない。
土日は基本昼まで寝ている。起きても身体が動かないのでカーペットの上で四肢大投出。しかも常に眠い。でもずっと同じ姿勢だと腰骨が当たっていたいので時々体勢を変えている。
自分でもだいぶきてんなと思うのだがとにかく殆ど骨と皮みたいになって来ている。シャレにならない。いや、ちゃんと食べる時は食べてる。今日もご飯食べたしね。でも毎日それなりの量を食わなきゃ健康な身体は維持できない。そのためにはきちんと運動して断酒をすることが何より大事だ。 わかっているけど出来ない。
とにかく身体を動かすべきと判断したので、ジムに通おうかなと思いネットで調べたりもした。めぼしいところも見つけたし、自分でもこのペースなら通えそうと言うコースも見つけた。値段も悪くない。あとはジムに行って申し込みするだけ。ここまで来た。でも出来ない。 出来る出来ないのハードルが高すぎる。身体が動かない。なぜ・・・。

基本的に土日は断薬をしている。仕事が憂鬱なら土日にはいらないだろうと言う判断でだ。
でもこれが原因で土日に身体が動かないなら、いっそ飲んでみようか。いや、ただ単に自身の怠惰を言い訳にしているだけだろう・・・。 今週もまた何もせず家に居た。虚無の極地である。私は霞を食って生きている。そんな心持ちにもなる。
風呂に全身鏡がある(いらねえ)。湯船に入る一瞬前に自分の肢体がうつる。あばら骨がでた貧相な身体だ。ジムに行っても5分だってまともに運動が出来なさそうな身体だ。ワンパンで死ぬね。確実に。

全然関係ないけど私はおそらく完全な異性愛者で顔の良い男性が好きだが、性嫌悪も持ち合わせている。
男性という男性、男性と私が判断する全ての人間に自身の身体を触られるのが嫌だ、そして見られることも。
どこかにルーツがある訳でもない感情がある。しかたない。しかし一度つき合っていた人に自身の身体を見られ(見られたこと自体は不可抗力だったのだが・・・)笑われたことがある。なんでだかずっとそのことが私の心に残っていて、ふとした瞬間に思い出すことがある。どこが変だったんだろうと思う。
人の身体は皆人それぞれ、一つとして同じ物等ない。だから私は堂々と銭湯に行くしタオルで隠したりもしない。私は女性の身体をたくさん見て来たし、どれ一つとしておかしいと思ったことがないので、当然それが自分にも適用されると心の底から信じている。 しかし男性はどうだろう。すくなくともこの世に一人は私の身体を笑った人が居る。ならばきっと私の身体はおかしなところがあったに違いない。少なくともその人にとっては。別に今となってはどうでも良い。関係ない話だ。その人とはとっくに別れているし、もうあかの他人だし。でもふとしたときに思い出す。ほら、こんなとき。やせ細った自分の身体が不意に視界に入る時とかね。そういうときに私は自分の姿が限りなく醜く汚らしくばからしく怠惰で恐ろしく滑稽な異物に見えてしまう。やばい怪物みたいに。

思うに複合的な心理状態なのだろう。何が駄目とか良いとか、こうすれば良いとか。仕事だけが悪いのか?いままでそう信じて来たけどもしかして違うのかも。色んなことが駄目なのかも。でもずっとこうして生きて来て、なんで今になってという気持ちもある。私の心は私だけの物なので自分で探すしかないのだが。


痩せた自分の身体が嫌になるなら運動をしてご飯を食べればいい。当たり前のことを当たり前にするだけで良いのにそれをしないのは私の怠惰だ。毎日そう思っているのにどうすべきか迷っている。でも大丈夫です。出来ることからすれば良いのです。私はそれを知っています。


相反する自分に悩まされている。私は大変楽観的であり自分で自分を許すことの出来るおおらかさを持ち合わせているが、一方で非常に怠惰であり且つ狭窄的な視野の持ち主でもあり、そのあたりのバランスが大変に難儀な性格を形作っている。

楽観的な長所は大変好ましい。私は私のそう言うところをとても気に入っているし、人に与えることの出来る美徳としてカウントしても良いと思っている。一方で狭窄的な視野も時には几帳面なバランスを持って仕事に表出されることもありそれ自体もとても好ましい。私は私が基本的に良い人間であると信じている。
だがそれらを覆い隠し尚あまりある短所の大きさよ。それはもう、私と言う人間の美徳など一握の砂のようにちっぽけで恐ろしく空虚な物であると知らしめてくるのだ。仕方がないのだが・・・。
自分で自分を許すことが怠惰であると狭窄的な自分が言うのを止められない。しんどいことだね。


私は私を許したい。許せるとおもう。私が他人なら。でも他人じゃないんだよね。この難儀さよ。
私は多くの人を許したい。多くの人が美徳を持って生きていると信じたい。多くの人が手を取り合うことが出来ると信じたい。信じている。盲目的に信じている。ただこの世で私だけが怠惰でダサくてバカでのろまでどうしようもない怪物として存在していると言う心持ちが消えない。

 

でも私は知っている。本当は私は全然大丈夫だと言うことを。
夜のベランダに立ってぼーっとしていると全然大丈夫じゃんとおもう。
だって私ってば人みしりだけど職場では結構頼られちゃってるし名前で呼ばれて慕われてるし、やっと仕事にも慣れてきたし。私生活でも友人は少ないけど居るし、皆優しいし。最近は定期預金とか確定拠出年金とかにも手を伸ばして老後のこととか考えてるし。もちろんジムだってがんばって通うんだ。 あとは何をすれば良いのかな。脱毛?英会話?簿記の勉強?何らかの資格?


まったく人間として良く在ることの大変さよ。怪物のままで居られたら。私はダサくてのろまで怠惰な怪物。人の形を取ろうとおもったら薬とお酒とお金がかかるね。良く在りたい。良く在りたいよ。できたらずっと永遠にね。

最後に私の好きなバンドが突然新譜を出していて、いつの間に?!とウケてしまったのでリンクはっときます。
まじでさいこ〜。眠たい休日のお昼にひなたぼっこしながら聞こうぜ。
https://www.youtube.com/watch?v=XUSmCRHKcXs