■雑記(2018秋頃〜現在)薬について

昨年の暮れ前の、秋の始まりくらいから病気の診断を受けて何となく今に至っている。

病気というよりなんとなく不調と言う感じの軽いやつだ。それにまあ名前がつくかつかないかみたいな微妙なところを、診断書もらったら仕事量減るだろうなと思って試しに、書いてもらえます?と医師にお願いしたら、ぼんやりしたストレス性の神経症みたいなやつをもらえた。ので便宜上名前がついてるくらいのほんとにぼんやりした感じ。あと医師の話を聞くにちょい適応障害も入っているらしかった。 適応障害というのは簡単に言うとストレスが原因で頭痛になったり腹痛になったり嘔吐したりと、外的にでてくるやつらしい。詳しくは知らない。間違ってたら申し訳ない。

そもそも心療内科なんて一生行くことないと思っていた。

身体の不調自体は一昨年の暮れ辺りから徐々に身体にでていた。

慢性的な頭痛や腹痛、突発的な嘔吐(吐き気)、喉の違和感、動悸など。しかしそれはまあ、良くあることである、生きていれば。それがどうして診断に至ったかというといくつか段階は経ているのだが、最初は健康診断だった。問診時に何となく上記症状を伝え、貧血気味であることを伝えたところ(私はそれまで上記症状が貧血に起因していると思っていた)、採血結果にもよるが一度心療内科にかかってみれば良いと言われた。若い女性には良くあることだと。

しかしこの時点ではまったくピンと来ていなかった。なぜなら自分がそれほど強いストレス下におかれているかといわれれば間違いなくNoであったためだ。そういうのはもっと忙しくて疲れている人がなるやつでしょ。関係ないわ。日常生活に支障が出ている訳でもなし、ましてや心療内科なんて大げさでしょ。くらいのもんであった。

それからしばらくして、飲酒量が激増した。退勤後にどうしても酒を飲まないと電車に乗れなくなった為だ。 乗れないと言うのは、普通の感覚だとよくわからないと思う。というか私にもよくわからない。ただ、漠然とした不安やイライラが退勤後駅まで歩くうちにどんどんつのってくるので、電車の中で落ち着きじっとしていられないのだ。恐ろしい考えが頭の中にずっと居座るのだ。それでしょうがないから勤務地の最寄り駅前の飲み屋でビールやワインを3〜5杯程度飲んで、程よく酔ってから電車に乗ると言うことを毎日繰り返していた。それとは別に家では毎日酒を飲むのだが。

上記は自分でも流石に恐ろしくなった。週7日毎日酒を飲むと言うことはいずれ身体に影響を及ぼすのではないかと。否それ以前に自分はなにかおかしいのではないかと。思うようになった。

それで、ちょうどその時期来ていた産業医に軽い気持ちで話をしてみた。そのときも心療内科に行くことを進められた。その時の言葉が、行ってみたら、くらいの軽いものであったなら未だに私は通院なんかしていないと思う。なにせ常人の100倍腰の重い私である。楽しいことですらめんどくささが勝ってなかなか食指の動かない私である。況や病院なんて面倒くさいものをや…という話だ。

しかしそこは産業医の方が上手だった。

「あなたは重い病気ではない、普通の人だ、だから心配しなくていい。けれど酒に頼るより薬で押さえる方が適切な症状もある。」ざっとこんな感じの話だった。そういわれると、なるほどたしかに病気ではないにしろ今の状態が異常なのであれば一度通院してみるのも悪くないかもと思えてくる。 産業医はさらにだめ押しで、もし君が自分の身内なら一週間以内に病院に行く様説得すると言った。これが実際かなりきいた。今でも旨く言えないけれど、たしかに自身の現状を身内…妹や母にあてはめて考えればなるほど異常であると思うだろう。心配もするだろう。それまで半信半疑だった自分の意固地な部分がするっととれた気がした。それでその日のうちに心療内科の予約を取った。

それから仕事で紆余曲折あり、ワイン一瓶あけ泥酔し記憶を飛ばしたりしながらなんとかかんとか今は落ち着いている。

薬は二種貰っている。毎日寝る前に飲む、長く薄く効くタイプと、日中強い不安に襲われたときに飲む即効性のあるタイプだ。

前者の方を飲んでから精神状態は劇的に良くなった。というより、それまでの自身の精神があまり芳しくなかったことにようやく気がついた感じだ。独り言が減ったり、朝起床しているのにどうしてもベッドから起きれなかったり、リビングで座り込んで動けなくなったりすることがなくなったりした。例えるなら、ぼんやりと凪いだ海の表面を見ている感じの状態が続くのだ。

これは凄いことだと思った。昔の精神病のお薬のラベルは抽象的で独特な絵が書いてあるのでしばしネットでも話題になるが、自分が飲み始めて初めて何となく腑に落ちた感じだ。 精神の乱れとかいうものはこと言葉で表すのが難しい。かなり感覚的なものなのだ。どうしてもあらわせないことで苦しくなったり、楽になるのもそうであったり。なにがどうなっているのかいまいちわからないが、私の場合は自分をまっすぐな状態に保つことが難しいイメージが続いていたのを、横の一本線にすっとひき直してくれるような感じがしている。

後者の薬の方は正直効いてるのかわからない。吐き気や動悸はかなり突発的なので、なおってもそれが薬のおかげなのか、時間を置いたからなのかいまいちわかりづらい為だ。ただし頭痛がしたときには効いた気がするのでやっぱりちゃんと薬なのだろう。

 

そういうわけで普通に何となく生きている。

しかし心中では自分は病気ではないと未だに思っているので、寛解というものが存在するのかどうか自分でもわからない。元から陰鬱で難儀な性格であったのを、たまたま名前がついてしまっただけと言うような気が拭えないのだ。それでもどうしたって頭は痛いし動悸は酷いので仕方がない。薬は手放せないので通院している。しかし問診でざっくりどうですかときかれても、なにが?という感じでいまいち進んでいる感じもない。自分がどうなるのがひとまずのゴールなのか私にはわからない。

薬をやめることがゴールなのならば、いっそ通院をやめた方が良いのではないかと思う時もある。 でも、薬には断ち時、断ち方というものがあるらしく、私はまだ頓服(突発性のための薬)が手放せないので減薬する時ではないようだ。産業医にきいても同じ答えが返って来たので、おそらくそれが正なのだろう。 しかし突発的な吐き気や動悸がなくなることなどこの先あるのだろうか。 客から暴言を浴びせられたり、急な対応を迫られたり、そういうちょっとしたことで動悸は起きるし、時にはなんでもないときに起きることもある。仕事のことを考えると眠れないので、日曜日や祝日明けの夜は頓服も併用してなんとか寝ている状態だ。

仕事量は減らしてもらっている。にもかかわらず状態が良くならないのはどういう理屈なのだろう。自分の甘えではないのかと常々思う。現に上司から暗にそのようなことを言われたりもする。それでも、気合いや心持ちで動悸や頭痛がなくなったらどんなに良いことか。私の身体のことではあるが、私の力ではどうしようもないのだ、情けないことに。

仕事量が減ったからと言って人より仕事をしていない訳ではないのが救いだ。診断書提出前はもっとたくさん仕事をしていた、それが並レベルに戻ったくらいなので、特に周囲から何か言われたりすることがないのはありがたい。

もっと減らしてもらった方が良いのだろうか。でもそうするともっと苦しくなるのは自分なのだろう。出来ることをしないのは気分が悪い。出来ることを出来るだけするのが正しい人の働き方なのならば今の自分は間違いなくセーブをしている状態だ。しかしこれが現状の自分に対して正しい状態なのかもしれない。

一分一秒というレベルで自分の考えが変わるので正直どうしようもない。こうしていままでのことを振り返っている今も、仕事をするという責務を重視する自分と、身体を正常に戻すことを重視する自分が混在している。そもそも仕事を辞めた方が良いような気もしている。職場を変えて心機一転すべきではないかと。しかし現状、職場に不満がある訳ではない(あるにはあるが、人間関係等はおおむね良好なので、そこをもってすると転職は早計な気がする)。そうなるともう、自分の身体が正常に動いてくれるのを待つしかないのだ。別に仕事ができなくなっている訳ではないし、不安に襲われたら頓服を使用してじっとしていればおさまるので、特に職務に支障が出ている訳ではない。しかし漠然とした恐怖や不安は常にそこにあり、薬は手放せず、上席からは今後自分がどうしたいのか自身で決める様迫られている。安寧はない。

 家族の理解も得られていない。どうやら家族は、私の病気は突発的な、風邪やインフルエンザみたいなもので、薬を一時的に服用することで完治すると思っているらしい。それでいつまでも通院したり薬を飲むのはやめる様迫られている。仕方がないので、もう薬も通院もやめたと話して、退勤後こっそり通院している。薬は戸棚に隠し、家族が寝静まった後に飲むようにしている。

何の意味があるのか自分でも分からない。ここまでして飲む必要のある薬なのか。通院している意味はあるのか。自分は元気なのに、無理矢理薬を飲んでいるのではないか。病気ではないのではないか。甘えなのではないか。 誰かがびしっとこうするべきだと言ってくれれば楽なのだろうが、そんな人はこの世には居ない。自分のことは自分できめるしかない。

 

ひとまず薬を飲み続けることにきめた。仕事は続けているが、なにか言われたらやめてしまった方が良いだろうと思っている。転職先はみつからないが、ぼちぼち探しはじめるべきとは思っている。自分の精神衛生上、環境の変化が苦手なので転職はなるべくさけたいと思っていたが、ここまできてしまってはやむを得ない。もちろんなにも言われず、今のペースでゆっくり働けていけるならば、ある程度治るまでは今の職場で治療を続けていくのがベストではあると考えている。

 

こうして昨年からの現状を綴っているいまも喉の違和感がある。思い出したり話をすることはアホみたいに辛い。 こうした極めて私的なことはあまり真剣に周囲に話したりしない様にしている。その後の対人関係に影響を及ぼすことが目に見えているから。 それでも話をする時はあまり深刻にならぬ様さらっと話すようにする。自分のことで気を使わせたり、あいつは病気なのだと思われたりするのも大変苦痛だから。

しかしもうどうでも良くなってしまった。誰かと面と向かってこのようなことを話すことはこの先もないだろうが、しかし代わりに私はこうして文章におこしている。書くことで自分を癒すことは出来るのだろうか。癒すと言うのはかなり大仰だが、まあつきつめると自分の病気は自分だけのもので、誰かがなおしてくれるというより自分がどうしていくかという話になるので、仕方がない。とにもかくにもこの先生きていかなければいけないのだ。

ならば自分の出来る範囲で自分のしたいことをしようときめた。それで、面白くも何ともないこんな記録をつらつら書いているのだ。

書いたところで何か状況が変わる訳ではない。むしろ考えないようにしていたことばかりが思い起こされる。予定のない休日はことさら辛い。自分の人生が恐ろしく空虚で意味のない物としてのしかかってくる為だ。そう言うときにこうして何か物を書いていると随分落ち着いてくる。心持ちがすっと穏やかになる気がする。誰にも話をしないことを文章にして公開するなんておかしいのだろうか。でもどっちにしろ私はおかしくなってしまった気がするので、どうでも良いのだとも思う。

つまるところ気を晴らす為に書いているので、上記の全ての文章に意味等ないのだ。昼過ぎから書き始めて随分かかったが、だいぶ気分が落ち着いて来た。明日また、病院の予約を入れようと思う。

 

すべきことをするしかないのだ。できることは限られているので、とりあえず明日も働いて、そしてゆっくり考えていこうと思う。何のせいで自分がおかしくなってしまったのかがわからなければ病気(じゃないと私は今も信じているが、不調なのは確かであるので便宜上こう呼ぶ)も治らない。でも心当たりもない。働いて、薬を飲んで、考えるしかないならば。しかたあるまいと思っている自分が居る。だってやっぱり、生きるしかないので。平成が終わっても私は生きていくので。はー。そう、生きていくしかないのだ。